2011年04月15日

余震と人災

皆さんこんばんわ。

現地在住の泉です(晋也妻デス)

激務に追われ、なかなか現地レポートが出来ずにおりました。。

311大震災から一ヶ月が過ぎましたが、晋也レポートにもあるように
ここに来て大きな余震が続いています。
震源は福島県浜通り、勿来(なこそ)地区から茨城県北茨城市にかけて
あるようで、大きな津波が来ないだけましですが、直下型の破壊力にみ
んな恐怖を感じています。

震源に近い地域では余震で家が半壊してしまったり、津波の恐怖から
住み慣れた土地を離れる人も多いようです。

実際、津波警報が出るたびに夜中でも朝方でも飛び起きて避難しなけれ
ばならず、片づけて、直して、また壊れての繰り返しに、復興への活力
を持続出来なくなっている人も多いと感じています。

震災 (4).JPG
4月11日・12日の余震でまたこんな感じに・・・(@会社)

震災 (56).JPG
さすがに懲りて、、紐やガムテープで地震対策を施しました!


もうひとつ、最近になってガツンとダメージを受けている事があります。

前にもお話しした様に、私の勤めている社会福祉法人には、原発20km
圏内に事業所があり、職員も、障がいを持つ利用者さんも、大震災以来
ふるさとを失ったままの状況です。

怖いニュースが流れていても、自治体が壊滅してしまっていても、みんな
「いつかは家に帰れる!帰ったら、頑張って町を復興しよう!」
というモチベーションを持ち続けており、誰が何と言おうと、多少現実
から目をそむけたって、それが彼らの希望でした。
私自身も、放射線に関しては殆ど意識せずに生活していましたし、その
得体の知れないモノに対して怒りはありましたが、恐怖は感じておりま
せんでした。

ところが最近、悲しい出来事やニュースが耳に入ってきました。
それは、風評被害というより差別と思えるような出来事です。

 ・いわき(福島県)ナンバーの車で茨城のスタンドに給油に行ったが、
  福島県の車は被曝しているかもしれないという理由で、給油しても
  らえなかった

 ・楢葉町から県外に避難している一家の子供が避難先で小学校に転入
  したが、「放射能」を理由にいじめられ、どこにいっても同じと
  福島県内に戻り、避難所で暮らしている
  
 ・いわき市から県外に避難した方が、歯医者の受診を断られた
 
 ・(これはニュースで知りました)
  某市・市長が福島県内の津波で残ったがれきなどの処理を申し出たが
  放射性物質に汚染された福島のゴミを市内に持ち込むなと、市民から
  苦情が殺到した
  
どれも、噂ではなく知り合いの実体験です。    
私はこのブログを通じて、とにかく感謝の思いを伝えていきたいと思って
いましたが、正直心が折れそうでもあり、せっかく支援して下さっている
みなさんを悲しい気持ちにさせてしまうかもしれませんが、何が正しいの
か、今は答えが見つからずに報告させていただきました。

え?私たちって、危険なの?
福島の外に出たら、そんな目に遭うの?

利用者さんたちは特に、敏感にそんな空気を感じ取っています。
考えも及びませんでしたが、そうだとしたら、放射能より怖いです。


ネガティブな報告になり、申し訳ありません(汗
上記の話はごく一部であり、その何倍もの人たちがたくさん、たくさん
一緒になって助けてくれている事は、もちろん忘れてはいません!!
その感謝の気持ちがパワーになって、私を動かしてくれます!

PS.まったく関係ないですが、九州新幹線全線開通のCMを何気なく見て、
とても元気がでました。九州の方々が新幹線に向かって手を振り、踊り、
ジャンプし、ばんざいしている様子を車窓から映したもので、そのあまり
にも平和で嬉しそうな笑顔の数々が、この一ヶ月ほとんど見ていないモノだと
気づきました。
元気がでます。よろしかったら(笑)
http://www.youtube.com/user/shuku9wave
posted by いまここ at 02:04| 福島 | Comment(0) | 泉 レポート(現地在住) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月23日

感謝!!

こんばんわ。
いわき在住の泉です。

皆さまへのお礼が遅くなり、申し訳ありません。

私たちのSOSに対して、骨を折って下さった(株)いまココの井手さまを始め、
バースハーモニーの齊藤純子さま、他にもたくさん、たくさんの応援して
下さった皆さまにこの場を借りてお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました!


私はいわき市内の障がい者施設で働いております。
利用されているのは、主に精神障がいや知的障がいのある大人の方々です。

23日現在、すでに多くの団体、行政、個人から水や食料、医薬品、衣類
などの支援を頂き、施設は何とか、細々とですが活動を続けています。



地震から最初の一週間は、もう思い出せないぐらいあっという間に過ぎま
した。
うちの法人では、原発から15kmの距離に四つの施設があり、地震・
津波を何とか乗り越えたと思ったら、直後に職員も利用者も全員が住む町
を離れる事態になりました。

夜の事でしたので、着の身着のままで全員ちりじりに避難したため、現在
も居場所の分からない方がたくさんいます。
30名あまりの利用者の方がいわきに避難でき、残ったスタッフ
でとにかくその日その日を何とかするという日々を過ごしました。


そんな時に、私の友人で恩人でもある井手夫妻がすごい力を発揮して、
たくさんの人に声をかけてくれ、ぎゅうぎゅうに支援物資を積み込んだ車
に乗っていわきまで来て下さいました。
放射線の恐怖でみんなが逃げ出していたいわきに。

手をぎゅっと握ってくれた時に、張り詰めていた心が弾けて、ぼろぼろ涙
が出ました。


その後もこうして、多くの人々に知ってもらい、応援してもらい、私たち
だけでなくもっと多くの被災地の方々に何かをしてあげたいを心を寄せて
くれる人がいる事に感謝せずにはいれません。

みなさまのおかげで私もがんばれます!


posted by いまここ at 22:51| 福島 ☀| Comment(0) | 泉 レポート(現地在住) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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