2011年04月26日

四倉高校にて『がんばっぺ!』

おはようございます。

いまココの井手です。

今回は原発から34kmのところにある避難所、
四倉高校のレポートです。

四倉高校の場所です

http://maps.google.co.jp/maps?client=safari&rls=en&q=いわき市四倉町字5丁目4&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=福島県いわき市四倉町5丁目4&gl=jp&ei=vwu2TeLiOobevwPv2azEDw&sa=X&oi=geocode_result&ct=title&resnum=1&ved=0CBkQ8gEwAA

ここには、311の後、一時は1200人程の方が避難されてたそうです。
原発による避難勧告をうけて南下されてきた方々と、地元四倉で地震による
被害を受けた方、津波で家が流された方たちが避難されている場所です。
現在は約165名程の方が避難生活をしており、その95%は地元四倉の
方だということです。60後半からうえの高齢者の方60名程が武道場に、
その他10代〜50代の方々100名程が体育館で過ごされています。
四倉高校内部.jpg
体育館の入り口から見た中の様子

僕が入った時は音楽隊のボランティアさんがライブをしておりました。
音楽の力は偉大です。心にも身体にも魂にも響く良薬ですよね。
ライブ.jpg

ここ四倉高校には、4月11日(月)に夕食の炊き出しへ、東京からは
大沢さんが、そしていわきの実家から母が避難所へ向かいました。
東京で前の日に炊いた玄米10升や、母の味を届けたい!という大沢さんの
呼びかけで有志のママたちが作ってくださった肉じゃが、いまココに送って
いただいたお野菜や梅干しなどを持参して、ヘイコーから大きなコンロも
借りて、現地でみそ汁をあたためて皆さんに配り始めていたその時に、、、
あの震度6弱の地震がありました。津波注意報が出され、停電になり…
この時もすぐに電話がつながらなくなり、とても心配しました。
とにかくこういう時は携帯のメールへ正確な情報を送りつづけます。
現地では停電になって真っ暗な中、皆でなんとかあったかいごはんを
配り続けたそうです。そして6弱の地震によって、それまでご自宅に
戻って生活していた近所の方達が再び体育館に避難してきたと。
東京へ帰るにも常磐道が封鎖され、大きく遠回りして東北道へ向かい
一晩かけて帰ってくる事態になりました。この時ばかりは大沢さんを
ひとりで現地へ行かせたことを深く反省しました。
停電、断水、そしてこの日は地震の直後に横なぶりの雨と雷がなり響き、
くしくもあの311からちょうど一ヶ月後に再び恐怖が蘇ったのでした。

そんなわけで、かなり緊張した経験をしていたため、四倉高校へは初め
緊張して入りました。11日の時点では、コンロや食器などもなく、
自分たちで炊き出しができる体制はほぼ整っていない状態でしたが、
その4日後に僕が入ったときは、入り口に大きな鍋が置いてありました!
ガスボンベ01.jpg
よくみるとそこには大きな赤十字のマークが!
赤十字マーク.jpg
赤十字さん!ありがとう!やっときた!
これで、食材や調味料が揃えばなんとかなります。
そしてなにより大切なのが「人の手」!!こちら四倉高校では、
ヘイコーのような避難者の班分けや、ボランティアチームなどが形成
されていないので、今後はそうした協力体制がとりやすい状態になると
いいなと思います。ヘイコーでできたのだから、ここでもできる。
四倉高校でも、職員の先生達がとても協力的でよく避難所に足を運んで
くださっているとのことでした。外部からの電話対応なども先生たちが!
そして、ここは原発に近いということもあって、みんなをまとめようにも
きっと人の入れ替わりがかなりあったのではないかと思いました。
そんな中とても心強いチームが応援に来てくれていました!
なんと遠く九州の長崎県から県の職員さん達が、いわき市の各避難所に
数名ずつ散らばって、泊まり込みでサポートしてくれておりました。
長崎は先の戦争で原爆による被爆を体験している数少ない国民であるゆえ、
自分たちが過去の経験から学んできた被爆という人災に対しての対処法や
様々なノウハウを活用することで、少しでも力になりたいと。
いまいわき市では原発による不安を抱えている方がとても多いので、
我々が来る事でそういった事態に対し、より効果的な対応ができるかと。
なんと頼もしい方々なんでしょうか!僕も九州出身なので、嬉しかった!
山口さん.jpg
向かって左の眼鏡の男性はその長崎スタッフのリーダー格の山口さん。
とても冷静で頭のきれる、そして笑顔の絶えないナイスガイです。
彼は真剣にこのいわき市の事を考え、今後どのようにして行くのが復興への
近道になるのか!?を考えてくれていました。もちろん他の長崎チーム
のメンバーの皆さんも頼もしい方々でした!(山口さんは20日をもって
長崎へ戻られ、他のメンバーがその業務を受け継いでいます)

↓これらは他の避難所にも必ずある掲示板です。
四倉掲示板.jpg

↓マッサージのボランティアの案内も!
張り紙01.jpg
マッサージなどはかなり必要とされていますね。
環境が良くなってきたとはいえ、基本的に板張りの上ですから。。

寄せ書き.jpg
体育館の奥に張ってありました。
胸が熱くなります。

がんばっぺ いわき.jpg
『がんばっぺ!いわき』
この看板はいわきの町中でもよく見かけるんです。
「がんばっぺ!なんとかなっぺ!やってみっぺ!」
なんかこぉ〜親しみやすい柔らかさというか暖かみがある
いわき弁、僕も好きです。うまくマネできないけど。(^^;)
できれば東京でも流行らせてみたいです。

物資や配給などを管理しているスタッフの方にお話をうかがうと
ここの避難所には現在リーダーや班長といった指示系統が存在して
おらず、そのせいか皆さんの声が行政やボランティアの方々に
通りにくいというデメリットがあるとのことでした。1人地元の方で
世話人的な方がいらっしゃるのですが、その方も携帯が壊れて
しまい外部との連絡がとりにくい状態でした。

ヘイコーでは加藤さんという文京区からきてくださった方が
常に避難所に在中して被災者のみなさんの声をとりまとめながら、
行政や僕たちボランティアチームと連携をとってくださることで
現場のニーズにあったより効果的な支援活動ができております。
他にも避難所めぐりをしてわかったのですが、このように
人が協力しやすい体制がとれているところと、そうではない
ところの差があり、まだまだ手が足りていないところも多々ある。


市としては、体育館などでの避難生活は、あくまでも
一時的なものであり、一刻も早くアパートやホテルなどの
プライベートも確保できる避難場所や仮設住宅への移住を
進めるべく尽力しているため、その一時的な避難場所で
煮炊きをするための道具やら人材を派遣するということは
考えておらず、あくまで非常食の配給というスタイル…
しかしながら、現実は一ヶ月以上もコンビニごはんや菓子パン
缶詰、レトルトだけでは身体も心もおかしくなってしまう…。
そんなわけで、炊き出しにきてくださる方々がとても
ありがたいのです。あったかいご飯を食べれるのが一番だと。


こんなふうに、行政が頑張ってくださっているけれども、
なかなかケアが追いつかない部分のサポートを僕たちの
ような外部ボランティアチームが積極的に行えばいいと
思っています。行政、被災者、ボランティアがそれぞれの
役割で総合的に前に進んでいくことが大事だと、あらためて、
つくづく思いました。


四倉でマネージャー役をしてくださる方いらっしゃいませんか?
そうすればココと行政と僕たちがより繋がる。
つくづく、人のネットワークがキモである事を感じました。

今日もまた、みんなで祈りながら、今ここに感謝しながら、
ひとつひとつ自分たちにできることをやっていきましょう。
posted by いまここ at 08:50| 福島 | Comment(1) | マイノリティ・リポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます(^v^)

今日も温かいご飯ありがとうございます!

昨日はなんと!
ねぎとろ丼!!、唐揚げ!!、トン汁!!

ほんとに贅沢なご飯をありがとうございます。

毎日が感謝でいっぱいです。

私は平工業高校の体育館にいて
自分達のことしかわからずにいましたが、
他の体育館にいる方も色々な思いで
いるのですね。

避難している方って、
皆、自分自身の事ででいっぱいいっぱいだと
思うんです。
正直、自分もです。

でも、そこで個々になってしまったら、
余計に避難所にいることが辛くなってしまうと思うから、
やっぱり、助け合いは必要なのかと。

う〜ん。
難しいですね(^_^;)

Posted by 平工業高校体育館より!(^^)! at 2011年04月26日 09:34
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