2011年04月22日

ありがとうにありがとう!


こんにちは

いまココの井手です。

なかなかブログ更新出来ずにすいません。
「時間かかりすぎやろ〜!」と各方面から叱咤の数々受けまして(汗)
激励の声に応えられるよう、がんばります。

さて、先の妻フォローにもありましたが、この2週間はなんというか
激動の時間でした。

義援物資の受付・仕分け作業や、仕事の納品などが見事に重なって
しまい、自分自身にとってある意味震災時の密度を超えて
いたかも知れません。

ちょっと長くなりますが、これまでの不義理をここで少しでも返せる(?)
よう記します。

まず、嬉しい事です!本日、最初(3/19)にいわきに物資を届けに
行ったところ(福祉施設)から、感謝の手紙と入居されている方々
からの寄せ書きが届きました。


P1040073.jpg


そのありがたい言葉の数々に思わず泣いてしまい、それを見ていた
妻も中身を見るまえから、泣いている僕をみて泣いていました。

この活動は何らかの見返りを求めて始めたわけでは決してなく、
ただ目の前で困っている家族や友人をなんとか必死で助けたくて、
そして僕らのようになかなか声が届きにくいマイノリティとされている
人達を助けたかった、、、その一点の想いから出発したものです。

しかし、その想いと行動を通しながら、実はとても追いつめられました。

もしかしたら、この様な話は不適切と思われるかも知れませんが、
この自分の身に起きた出来事は、今後ボランティア活動をされるみなさんにも
起こりうるかもしれない…そう思ったら何かの参考になるかもしれないと
感じたので、お知らせすることにしました。

3/19日に現地に入って、活動を開始してから3週間目を過ぎたあたりから
自分の体調に変化が起きている事に気付きました。

正確に表現する事が難しいのですが、何と言うか精神的に常に不安な状態に
なっていて、何をするにしても億劫に感じてしまう自分がいました。

もともとチャキチャキ動くタイプではないので、最初はあまり気にしません
でしたが、それにしても、腰から下がぬかるみに浸かってて歩く様な、
そんなもどかしさを常に感じていました。そんな時に限って東京での仕事の
ピークも訪れ、得体のしれない不安感に漂いながら、ただただ目の前の仕事の
処理に翻弄されるという時間を3〜4日過ごした時に感じました。

「何かがおかしい」

頭の中で鳴り出したアラームですが、それがこの活動を始めた事に起因して
いた事は気付いていたのですが、なぜそうなったのか、の合点がいかず、
意識をそこにフォーカスしようと思っても、すぐにぼけてしまうので、
集中して考える事が出来ませんでした。

そうしている間にも、友人や仲間からたくさんの励ましや義援物資、義援金
等を頂き、それらを出来るだけ早く着実に届けようと努力するのですが、
その重くなった心と身体がこれまでみたいに効率よく動いてくれませんでした。

その時にこの本を見つけました。

自然災害ボランティアABC.jpg


ボランティアのノウハウが分かりやすく詰まっています。
その中に「あなた自身の心理ケア」という項目がありました。
少しそこから抜粋します。

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被災者と関わり合う中で、こちら側も影響を受けるのですが、その
影響を強く受けすぎると、直接経験した訳でもないのに、精神的な
打撃を受けます。この事を「代理受傷」または「二次的ストレス」
と呼びます。症状としては、不安、抑うつ、罪悪感、無力感、不眠
食欲不振(異常)等がよく見られます。慢性的に代理受傷起こり、
これらがそのままにされていると、深刻な影響が生じます。
回避出来ない苦痛にさらされ続けると、人は無気力になり、意欲
をはじめ全般的な精神的健康が低下します。これを「学習性無気力」
と呼んでいます。 「がんばればできる」という信念は、学習性無気力
の防止に有効ですが、外傷的な出来事の話を何度も聞くうちに、逆に
「自分にはどうにもできない」という感情を抱く様になります。
そのため、無力感や罪責感を体験するようになるのです。
元気に取り組んでいる人が突然意欲の低下を示す事もあり、これを
バーンアウト(燃え尽き症候群)と呼ばれ、ボランティア活動の場合
にも起こりやすい症状と言えます。
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まさに自分の症状がこれだと思いました。

この活動をもっと活性化するためのアイデアや人材はとても目の前に
存在していて、あとはそれを一つ一つカタチにして行くだけなのに!
それに対して、身体が動く事を拒否してしまう…。

その停滞している頭の中で、ある幾つかの光景が繰り返していました。
それは、最初に現地に行った(3/19)時に体験した事です。

最初の記事でも紹介しましたが、壊滅した状態のまま、まだだれも
救助活動に入れていなかった薄磯地区に入ったとき、そこで小さな
娘さんを津波の最中に見失って、来る日も来る日も必死で現場に
探しにきていた若い夫婦の話を聞き、瓦礫の中という酷い環境の中で
聞いたせいもあり、ものすごい衝撃を受けました。
それは自分の意識のとても深い部分をえぐった気がしました。
そして、なにかせずにはいられない原動力にもなりました。

その日いわきからの帰り道、まだ一般車両が通行禁止となっていた
常磐道で起きた出来事です。

いわきと茨城との境目付近にある「中郷SA」に寄った時の事です。

トイレに入って、車をとめた駐車所に出てきた直後に、ものすごい揺れが…。
311の地震発生後、最大の余震を直下で受けました(震源地のまさに真上
でした)震度5強でした。後に他の場所でも遭遇した同クラスの震度と比較
しても、その時の揺れはひどく強く感じました。空気が揺れる感じというか、
駐車場のあの高い照明が倒れて来るような気がして、転倒しないように必死で
身体をかがめながら上を凝視していました。

その駐車場には、いわき方面から必死で逃げてきたのであろう2〜3組の
家族連れ以外誰もいませんでした。僕らに近い場所に止めていた車の中に、
4〜5才くらいの男の子が祖父母らしき人と一緒にいました。その子は、
暗い車内の中で親指をかみ、祖父に話しかけられても応えずじっと前を
見ていました。みな一斉にその現場から立ち去らなければならない衝動に
かられ、自分もその場を後にしましたが、その男の子のおびえきった目が
僕の脳裏に焼き付きました。原発が二度にわたる爆発を繰り返し、再び
余震や津波の恐れもあり、得体のしれない恐怖が国中を襲っていた時でした。

あの家族はちゃんと移動できて無事でいるのか…。
もし途中でガソリンがなくなって動けなくなっていたら…。
なぜあの時あの男の子に声をかけてやれなかったのか…。
そんな思いでしめつけられました。

自分の目の前で子供を津波にさらわれた方の話と、あの男の子の光景が
ずっと頭の中でリフレインして、整理出来ない感情がそれからしばらく
自分の中で未消化のまま時間が経ってしまい、現在の(ちょっと前の)
自分の状態になってしまいました。

その時間を何と表現したら良いか分かりません。。。

そんな訳で、いわゆる自分は「オチて」いました。
「そんな大した事してないくせに」と思われる方もいるかもしれません。
実際、自分がそんな大それたことをしたとも思っていません。
自分なんかよりもっと根性入れて、頑張っている人はゴマンといます。
自分も正直、こんな事で折れている場合じゃないと、歯がゆかった。
でも動けなかったのは事実でした。


しかし、そこからどうにかこうにか回復し動き出せたのは、家族と温かい
友人と知人の言葉であり、その存在そのものでした。
それがなかったら、ここで挫けていました。

妻が、やっと今までつめこんでいた緊張や辛さや怯えていた心にも
目をむけてあげられるようになったんだよ。それぐらい余裕が出てきたんだよ。
自分たちはスーパーマンじゃないから、ただの人だから、頑張りすぎず、
かっこつけることもせず、ただ打ちひしがれて泣けばいい。器用じゃないから、
そういうふうにしか前にすすめない。それを一緒にできる人がそばにいてくれる
だけまだいい。こんなふうに苦しくなるのも、生きている証なんだね…と。

そして、今日その根底からリフトアップしてくれたのが、下田泉ちゃんから
きた手紙です。

なんというか、心から救われた感じでした。

実際被災しているのは向こうなのに、こっちが救われるなんて、、
よくある話のようですが、事実僕はこの手紙で救われました。

本人に了解を得ようとすると拒否されるので(笑)、事後承諾で紹介
しますね。 というか、この手紙は自分達だけがとっておくのが
もったいない気がしてならない、というのが本音です。

Letter_01.jpg


Letter_02.jpg

Letter_03.jpg



彼女は色んな恐怖を抱えながらも、今をとにかく見つめて毎日を
生きるしか方法はないと言っています。 そんな彼女からの
「ありがとう」は、今まで漂流しかけていた自分の心を再度「今、ここ」に
つなぎ止めてくれました。 自分は何かをなさなければならないとおもい、
衝動にかられて行動していたのに、動けなくなってその事を恥じていた。

でも、なんとか手助けしたいとおもっていた目の前にいる人達が
わかっていたはずの大事なことを、今一度気付かせてくれました。

「今、ここ、を生きる」
「人はひとりではいきていけない」
「小さくても和をつくって横並び」

ばーちゃんが言っていたことをおもいだします。
幸せのひけつは

「ありがとう」
「もったいない」
「させていただく」

だよ。「させて、いただく」からギブ&テイクなんだと。

そうだった、おれは自分のためにも「させていただく」

これまでどこかで自分がやらねば、自分が助けに行かねば…、という想いが
脅迫観念にも近いかたちでとても強くありましたが、もっと基本に立ち返り、
確かにあの時は自分が行くしかなかったかもしれないけど、今は沢山の人が
支えようと頑張っている訳で、もうそこで無理に主張して行く事はやめて、
「出来る事」を一つ一つ、無理しすぎずやって行こう。
そうやって、「人」と繋がって行こう。そしたらかならずそこに「つながり」が
出来てくる。 そうしてつながっていけるのが僕はとても好きで、
だから、僕はこの活動を続けたいと思うし、これからもみんなと繋がって
行きたいと感じ、想いました。


ごめんなさい

ゆるしてください

ありがとう

あいしています

有名な「ホ・オポノポノ」の言葉ですが、今日はこの4つの
言葉が真に身にしみてありがたく感じました。

ありがとうございます。

最後に、いわき市の避難状況をお知らせします。


iwaki_hinan_number.jpg


これはいわき市のHPにのっているデータをそのまま載せています
(2011年4月22日現在)
その中で赤枠になっているのが、これまでアテンド(&訪問)させて
いただいた避難所です。

いわき市も、仮設住宅建設や雇用促進住宅などの借り上げをすすめ、
一日も早く避難住民の皆さんが移れるよう尽力しています。 
ボランティアスタッフも毎日笑顔で現地で頑張ってくださっています。

子供達も「どんな映画みたい?」って聞くと
「バイオハザード!」って答えがかえってきて、
マジで?!ってこっちが驚くほど元気で笑顔が戻って来ています。

これからもまたご縁のあるところで着実に誠実に、そして無理をせずに
やっていきたいです。

今後ともよろしくお願い致します。m(_ _)m

皆さんも身体と心と家族と命と「今ここ」をご自愛ください。

いつもありがとうございます!



posted by いまここ at 22:20| 福島 ☁| Comment(1) | マイノリティ・リポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今日も温かいご飯をありがとうございます(*^。^*)
温かいご飯だと納豆もいけちゃうんですよね〜^m^(でも臭いからやめろといわれてます)

私もこの震災で、沢山の友人や知人を亡くしました。
昨日まで笑って話していた友達や、メールをやり取りしていた友達や…。

あり得ないことです。

でも、これが現実なのかな、と。

だから、私は自分の為、家族の為は
もちろんのことですが、私には命がある!
と思って、皆の分まで強く生きて、
生きぬいて、またあの温かくて、
住み心地のよいいわきになるまで、
前に前に進んで行こうと思っています。

それには、一人では到底無理なことです。
家族があり、友人があり、周囲の助けがあり、
今は、ボランティアさんの助けがあり、
そうやって、多くの人たちの助けを借りて、
一歩ずつ進んでいけるんです。

その有難さは本当に言葉では
いい表せない思いです。

出来るなら私もボランティア活動に
参加させてもらいたい位なんですが、
なにせ、自分のことも出来ていない人間なので(笑)
落ちついたら、井手さん達のように
誰かに手を差し伸べられる人たちに
なれたらいいなと思っています。


いまココをいきる。

ココは今は、生きるには
少し耐えがたいところかも知れません。
でも、ココにいる限り、
ココで生きていくしかない。
だから、ココを嘆き悲しんでばかりいるのではなく、
ココが素晴らしくなるよう、前へ前へと
進んでいくしかない。


ではでは、またお会いできる日を(^o^)/
Posted by 平工業体育館より(^v^) at 2011年04月23日 12:58
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