こんな事務所の代表やっています。
http://www.studiodu.com/
今回の東北関東大震災において、私の家内の実家が被災しました。
私個人として、この未曾有の大災害に対して、いったい何が出来るのか?
自問自答しながら、自分に出来る事から
とりあえず記録を始めようとし、このブログを開設しました。
ここに書かれている事は自分が体験して見聞きしたことをのせています。
一昨日、福島県いわき市にて災害援助を行なって参りました。
そのご報告を致します。
昨日の14時半頃、一昨日より福島県いわき市在住の友人よりSOSがあり、
話を聞いた結果、その友人が勤めているという養護施設が危機に瀕している
という事で、よくよく話を聞くと、一刻の猶予もならないと判断したため、
十分な準備は出来ませんでしたが、必要物資をかき集め、無事届ける事が
出来ました。
今回急な動きでありましたが、友人知人の多大なる協力で、なんとかリクエスト
にあった必要な物資を届ける事が出来ました。
施設の方も、疲労困憊されてましたが、届いた物資を見て喜ばれていました。
ここでは、かなりの職員が避難してしまったそうで、スタッフは、残された
女性数人と、それを支える男性ボランティア若干名のみで20人以上の障害者の
ケアを行っており、物資の不足もそうですが、肉体的・精神的に限界に見えました
しかし、今回届けられた物資のおかげで、スタッフの皆さんに笑顔が見られ、
それまで届ける事で気が張っていた我々もその笑顔で緩むことが出来ました。
現在福島県いわき市は、被災された方々はもちろんの事、なんとか生活を立て
直そうと頑張っている人達にとって過酷な状況に陥っています。
施設に物資を届けてすぐに、妻の実家近くの集落が津波の被害を受けていた
という事で、確認しに行きました。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&client=firefox-a&hs=O60&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&q=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%E5%B9%B3%E8%96%84%E7%A3%AF&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%8D%E5%B8%82%E5%B9%B3%E8%96%84%E7%A3%AF&gl=jp&ei=jCKGTZKYHY-IvgPpw9niCA&sa=X&oi=geocode_result&ct=title&resnum=2&ved=0CCMQ8gEwAQ
この「豊間中」を起点として、上500m位の海岸線沿いに薄磯(うすいそ)
という町があるのですが、今回この地域のほとんどが大津波にて被災しました。
それまで、頭の中にはTVの映像しか想像出来ていなかった自分には、その光景は
あまりに凄惨で、文字通り言葉を失いました。
頭のどこかで気になっていた原発の事もふっとんでいました。

(写真上)
倒壊した家の裏山も地滑りを起こしていました

(写真上)
基礎部分の厚さが2メートルくらい有るコンクリート製の防波堤が完全に
破壊されていました

(写真上)
横から圧力がかかり、厚さが2/3くらいになっていた車
災害が発生してから一週間以上が経過しているにも関わらず、現場では
亡くなった家族を捜している遺族の方が何人もいらっしゃいました。
向こうから話しかけてきた30代くらいの夫婦がいたのですが、その話では津波で
母を見失ってしまったとの事。
どこかに逃げているかもしれないし、救助されて病院に搬送されているかもしれない。
しかし自分たちより、すばやく母が行動出来たかどうかは分からない、
でもどこかで生きてて欲しい、、といって、下を見つめる二人に、
私は言葉をかける事ができませんでした。
その夫婦は、現在海から遠ざかった高台の上にある高校の体育館に、
他の避難住民と一緒にいるそうです。
その他避難された方達も、深い傷を心に追われている方で、前述の夫婦が
そのストーリーを色々話して頂きましたが、どれも心を深くえぐるような話ばかりで、
二人の話を聞きながら私はただ涙を流すばかりでした。
がれきの中での立ち話をした後の別れ際、その夫婦が言いました。
「他の被災地はTVカメラがたくさん入って色々報道してくれているのに、
(ここの惨状は)誰一人としてくれない。
私達は携帯もTVもお金も何もないから、そういった報道をしてくれる事が
他の誰か知り合いに知らせる事が出来る唯一手段なのに、ここがこんな被害
に会っているなんて、誰も何も言ってくれなければ、ここを離れた人達には
全く分からないじゃないですか!」
ふたりは二重にしたマスクをながれる涙で濡らしながら、「原発が怖く
て誰も来ない、でも私達はここを動く事すら出来ない。他にも親、妻、
夫、子供その他大切な人をなくした人達で避難所はいっぱいなんです」
二人は繰り返し、この惨状を是非東京でメディアに伝えて欲しいと言って
いました。

実際に自分が被災した地区へ入ってみて体験した事ですが、風評被害は
ともかくとしてとにかく物流が滞っている、ライフラインが電気しか
復活(一部ガス)していない、というのは、ここにきてかなり困難な
状況であると感じました。
一番問題なのは、なんと言っても水、ガソリンの不足です。
幸い、今日の現地の情報では、昨夜市長の発表で、本日市内の何カ所かの
ガソリンスタンドにて供給が始まるというニュースが流れたそうで、
やっとという感じです。
(しかし、現地在住の友人は朝5時から並び出して、入れる事が出来た
のは午後2時だったそうです)
ちなみに今後このSSが継続して給油できる体制をとれるかどうかは未定で、
水道については、とりあえず復旧予定が4月下旬との事です。
今回「緊急通行車両確認標章」を取得出来たため、物資が集まればまた
現地のマイノリティな人・場所へ、心を届ける事ができます。
今後もこの活動は続けていきたい、いかねばならないと強く感じています。
今週中にもう一度行ってきます。
身近な人のために、現地に向かう勇気に、感動しました。
被災した方へどんなことが出来るのか、個人では何も出来ない、義援金も本当に届いているのかわからない、そんな状況の中、確実に届けられ喜ばれている、というルートが身近にあると、やりがいがあります。
今度行く時は、ぜひまた私たちの愛も連れて行ってくださいね!応援してます‼
バースハーモニーのメーリングリストから来ました。
静岡で養護施設の役員をしています。
沼津の知人を通じて障害者の方に補聴器の電池を届けようと頼んでいますが、次にいついけるかわからず、何かせずにはいられないと思っていたところでした。
いわきの障がい者施設に今必要な物は何ですか?知的・身体両方の方がおられる施設なのでしょうか?介護用品など必要ですか?
もし必要なものがあればこちらでも呼びかけをして集め井出さんが行かれる時にでも私がそちらにお持ちしたいと思っています。
こちらに集まりましたものを明日、そちらに届けさせていただきます。
ありがとうございます!
純子さんのおかげで養護施設の人達が助かりました!
純子さん無しには、あの強行軍は達成出来なかったと思います。僕はただ動くだけですが、皆さんの大きくて熱い想いが何の力もない自分に、色んなチカラをくれます。本当にありがとうございます!!
>ヤギさん
ありがとうございます!
介護用品に関しては、まだ分からないので、明日ヒアリングしておきますね。ただ、今回の働きかけが功を奏したのか、物資が届き出したそうです。明日また報告致しますね。
>チアキさん
ありがとうございます!!
こういうときこそ玄米ですね。
日本人の知恵をいまこそ発揮するときですね。
ありがとうございます!
先日は本当にありがとうございました。
何から手をつけてよいか分からない状況で、いち早く物資を届けて頂いて本当に助かりました。
いつかゆっくりお礼をしたいと思っています。
本当にありがとうございました。