2011年04月27日

ある集まりに参加しました

こんばんは。

いまココの井手です。

昨夜は友人である牛山君のお誘いでとある集まりに参加してきました。

各界の有名人も参加して、様々な意見の飛び交う非常に密度の濃い
集まりでした。

時間は2時間半程でしたが、あっというまに感じました。
それほど、熱のこもった良い勉強会でした。

その中で自分が特に印象的に感じた意見の一つとして、主催者の
人から「今考えられる方法で自然エネルギーを最大限に活用したら、
試算ですがおおよそ原子炉580基分の電気が得られる」
というコメントがありました。

ちなみに、今日本で存在している(停止中も含む)原子炉は54基。
その十倍以上のエネルギーが自然を活用する事で生む事が出来る! 
それをイメージしてみました。

もし本当に可能だとしたら、たとえ話半分どころか、話10分の1
でも、今の原子炉が作り出す電気以上の電力を作り出す事が可能。

自然エネルギーだけでは、今までのような便利な暮らしはできない…
などと言われている中、とても夢のある話に引き込まれました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/再生可能エネルギー

もちろんその実現には様々な困難がある事だと思います。

しかし、今の現実の延長線上にこのドリームビジョンが存在する
と考えれたら、なんと夢のある話ではありませんか!?

もし子供に対して未来について語る物語があるとしたら、
こういう話をしたい。決しておとぎ話ではなく、現実可能な
夢のひとつとして、ワクワクする未来の話を、今からしたい。


牛山くん、いつも良い機会を与えてくれてありがとうございます。
また、彼の会社で先日お話させていただく機会を頂きました。
社員の皆さんは大変まじめで素敵な方達ばかりで、仕事が終わった
業務時間後でしたが、真剣に僕の話に耳をかたむけて頂き、
質疑応答も様々な意見が飛び交う熱い内容になりました。 

ハリウッドビューティサロン.jpg

それぞれが、それぞれの立場で自分にできることをしたい、する!

こういう一つ一つの繋がりが、様々な可能性を秘めて大きな力に。

そして、いままでも、今も、こんなにも多くの人の手によって
自分たちは生かされているのだということに、あらためて、
深く深く感謝。

今日もタフでやさしく、前をむいて一歩ずつ進んでいきましょう。


posted by いまここ at 11:10| 福島 ☁| Comment(0) | マイノリティ・リポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

四倉高校にて『がんばっぺ!』

おはようございます。

いまココの井手です。

今回は原発から34kmのところにある避難所、
四倉高校のレポートです。

四倉高校の場所です

http://maps.google.co.jp/maps?client=safari&rls=en&q=いわき市四倉町字5丁目4&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&hq=&hnear=福島県いわき市四倉町5丁目4&gl=jp&ei=vwu2TeLiOobevwPv2azEDw&sa=X&oi=geocode_result&ct=title&resnum=1&ved=0CBkQ8gEwAA

ここには、311の後、一時は1200人程の方が避難されてたそうです。
原発による避難勧告をうけて南下されてきた方々と、地元四倉で地震による
被害を受けた方、津波で家が流された方たちが避難されている場所です。
現在は約165名程の方が避難生活をしており、その95%は地元四倉の
方だということです。60後半からうえの高齢者の方60名程が武道場に、
その他10代〜50代の方々100名程が体育館で過ごされています。
四倉高校内部.jpg
体育館の入り口から見た中の様子

僕が入った時は音楽隊のボランティアさんがライブをしておりました。
音楽の力は偉大です。心にも身体にも魂にも響く良薬ですよね。
ライブ.jpg

ここ四倉高校には、4月11日(月)に夕食の炊き出しへ、東京からは
大沢さんが、そしていわきの実家から母が避難所へ向かいました。
東京で前の日に炊いた玄米10升や、母の味を届けたい!という大沢さんの
呼びかけで有志のママたちが作ってくださった肉じゃが、いまココに送って
いただいたお野菜や梅干しなどを持参して、ヘイコーから大きなコンロも
借りて、現地でみそ汁をあたためて皆さんに配り始めていたその時に、、、
あの震度6弱の地震がありました。津波注意報が出され、停電になり…
この時もすぐに電話がつながらなくなり、とても心配しました。
とにかくこういう時は携帯のメールへ正確な情報を送りつづけます。
現地では停電になって真っ暗な中、皆でなんとかあったかいごはんを
配り続けたそうです。そして6弱の地震によって、それまでご自宅に
戻って生活していた近所の方達が再び体育館に避難してきたと。
東京へ帰るにも常磐道が封鎖され、大きく遠回りして東北道へ向かい
一晩かけて帰ってくる事態になりました。この時ばかりは大沢さんを
ひとりで現地へ行かせたことを深く反省しました。
停電、断水、そしてこの日は地震の直後に横なぶりの雨と雷がなり響き、
くしくもあの311からちょうど一ヶ月後に再び恐怖が蘇ったのでした。

そんなわけで、かなり緊張した経験をしていたため、四倉高校へは初め
緊張して入りました。11日の時点では、コンロや食器などもなく、
自分たちで炊き出しができる体制はほぼ整っていない状態でしたが、
その4日後に僕が入ったときは、入り口に大きな鍋が置いてありました!
ガスボンベ01.jpg
よくみるとそこには大きな赤十字のマークが!
赤十字マーク.jpg
赤十字さん!ありがとう!やっときた!
これで、食材や調味料が揃えばなんとかなります。
そしてなにより大切なのが「人の手」!!こちら四倉高校では、
ヘイコーのような避難者の班分けや、ボランティアチームなどが形成
されていないので、今後はそうした協力体制がとりやすい状態になると
いいなと思います。ヘイコーでできたのだから、ここでもできる。
四倉高校でも、職員の先生達がとても協力的でよく避難所に足を運んで
くださっているとのことでした。外部からの電話対応なども先生たちが!
そして、ここは原発に近いということもあって、みんなをまとめようにも
きっと人の入れ替わりがかなりあったのではないかと思いました。
そんな中とても心強いチームが応援に来てくれていました!
なんと遠く九州の長崎県から県の職員さん達が、いわき市の各避難所に
数名ずつ散らばって、泊まり込みでサポートしてくれておりました。
長崎は先の戦争で原爆による被爆を体験している数少ない国民であるゆえ、
自分たちが過去の経験から学んできた被爆という人災に対しての対処法や
様々なノウハウを活用することで、少しでも力になりたいと。
いまいわき市では原発による不安を抱えている方がとても多いので、
我々が来る事でそういった事態に対し、より効果的な対応ができるかと。
なんと頼もしい方々なんでしょうか!僕も九州出身なので、嬉しかった!
山口さん.jpg
向かって左の眼鏡の男性はその長崎スタッフのリーダー格の山口さん。
とても冷静で頭のきれる、そして笑顔の絶えないナイスガイです。
彼は真剣にこのいわき市の事を考え、今後どのようにして行くのが復興への
近道になるのか!?を考えてくれていました。もちろん他の長崎チーム
のメンバーの皆さんも頼もしい方々でした!(山口さんは20日をもって
長崎へ戻られ、他のメンバーがその業務を受け継いでいます)

↓これらは他の避難所にも必ずある掲示板です。
四倉掲示板.jpg

↓マッサージのボランティアの案内も!
張り紙01.jpg
マッサージなどはかなり必要とされていますね。
環境が良くなってきたとはいえ、基本的に板張りの上ですから。。

寄せ書き.jpg
体育館の奥に張ってありました。
胸が熱くなります。

がんばっぺ いわき.jpg
『がんばっぺ!いわき』
この看板はいわきの町中でもよく見かけるんです。
「がんばっぺ!なんとかなっぺ!やってみっぺ!」
なんかこぉ〜親しみやすい柔らかさというか暖かみがある
いわき弁、僕も好きです。うまくマネできないけど。(^^;)
できれば東京でも流行らせてみたいです。

物資や配給などを管理しているスタッフの方にお話をうかがうと
ここの避難所には現在リーダーや班長といった指示系統が存在して
おらず、そのせいか皆さんの声が行政やボランティアの方々に
通りにくいというデメリットがあるとのことでした。1人地元の方で
世話人的な方がいらっしゃるのですが、その方も携帯が壊れて
しまい外部との連絡がとりにくい状態でした。

ヘイコーでは加藤さんという文京区からきてくださった方が
常に避難所に在中して被災者のみなさんの声をとりまとめながら、
行政や僕たちボランティアチームと連携をとってくださることで
現場のニーズにあったより効果的な支援活動ができております。
他にも避難所めぐりをしてわかったのですが、このように
人が協力しやすい体制がとれているところと、そうではない
ところの差があり、まだまだ手が足りていないところも多々ある。


市としては、体育館などでの避難生活は、あくまでも
一時的なものであり、一刻も早くアパートやホテルなどの
プライベートも確保できる避難場所や仮設住宅への移住を
進めるべく尽力しているため、その一時的な避難場所で
煮炊きをするための道具やら人材を派遣するということは
考えておらず、あくまで非常食の配給というスタイル…
しかしながら、現実は一ヶ月以上もコンビニごはんや菓子パン
缶詰、レトルトだけでは身体も心もおかしくなってしまう…。
そんなわけで、炊き出しにきてくださる方々がとても
ありがたいのです。あったかいご飯を食べれるのが一番だと。


こんなふうに、行政が頑張ってくださっているけれども、
なかなかケアが追いつかない部分のサポートを僕たちの
ような外部ボランティアチームが積極的に行えばいいと
思っています。行政、被災者、ボランティアがそれぞれの
役割で総合的に前に進んでいくことが大事だと、あらためて、
つくづく思いました。


四倉でマネージャー役をしてくださる方いらっしゃいませんか?
そうすればココと行政と僕たちがより繋がる。
つくづく、人のネットワークがキモである事を感じました。

今日もまた、みんなで祈りながら、今ここに感謝しながら、
ひとつひとつ自分たちにできることをやっていきましょう。
posted by いまここ at 08:50| 福島 | Comment(1) | マイノリティ・リポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月24日

移動開始!&草野小学校

こんにちは。

いまココの井手です。

現地ボランティアリーダーの加藤さんより先ほど入った情報です。

仮設住宅への移動が今日から開始されました。

すでに3組のご家族が移動されているそうです。
これまで一ヶ月半に渡り、苦楽を共にされた仲間との別れは
さすがに胸にくるものがあって、涙ながらにお別れされたそうです。

本当にお疲れさまでした。これから新しい生活が始まりますね。

また今回ボランティアで野菜を運んで頂いた下村さん(ともう1人
ご一緒の方)ありがとうございました。

今回は、そんな前向きな空気に満ちて来たヘイコーの空気を
漂わせながら、他の避難所の情報をお伝え致します。

まず、先のレポートでもお伝えしましたが、ヘイコーから
8kmほど離れた草野小学校の話(4/17〜昨日)です。

http://eduon.jp/school/primary/福島県/いわき市/5582/map

草野小学校には現在60〜80才の方が7割以上を占める高齢者の方が
多い避難所です。 そのほとんどが家が全壊(流された)、もしくは
半壊の状態で、避難された方達です。

ここに1人の女子高校生がいます。

名前やそのいきさつは伏せておきますが、彼女は今色んなものが
なくて困っていました。

レインコートゲット!01.jpg
そのとなりはいっしょにいるいとこだそうです(一児のママ)。

主なものは、学校が始まったためその最優先としてあがったのが勉強道具
でした。

その他、自転車、目覚まし時計、携帯の充電器、下着、洗面道具、
細かく言うとキリがありませんが、要するに普通の高校生が
普段の生活を始めるにあたり、必要なものがまるで無い
という状態でした。

その対応を誰に頼んだら良いのか、彼女は今までずっと分からずに
黙っていたようで、僕がヒアリングに行った時、ぽつりぽつりと
はにかみながら、必要なものを話してくれました。

とりあえず、義援物資と義援金の一部より、彼女には目覚まし時計
と後程学習道具、その他下着関係を送らせて頂きました。

また、彼女と一緒に避難しているおばあちゃんも目が悪く、体育館にある
時計は遠くにあるので、よく見えなくて今何時かも分からないので、安い
ので良いから腕時計が欲しいとの事で、これも義援金の一部より手配させて
頂きました。

皆さんから託された義援金をこのような形で使わせていただいております。
より多くの方にとか、みなさんに平等に、とか言い始めるとどうしていいのか
わからなくなるので、このようにご縁のある皆さんのために、ひとつひとつ
本当に必要とされているものをお届けするというスタイルで使っています。
この使い方でよいか皆さんお一人お一人にご了承いただくことはできませんが、
被災地の皆さんに喜んで頂いた事は確かで、どうかご了承頂ければ幸いです。


また、雨が不安という事で、傘&合羽もその場で用意し、傘に関しては
全員分を手配出来るよう要請しました。

自転車は、幸いにも市から貸し出し可能な自転車を、ボランティア
の中島さんが手配してくれたので、なんとかなりました。

彼女が今後楽しい学校生活をおくれるよう願ってやみません。

後日彼女から、皆さんへよろしくお伝え下さい、との感謝メールを頂きました。
110423_212618.jpg
それといっしょに届いた写メで、おばあちゃんが腕時計をつけたの図

その他、小学校1年生の女の子にバックとノートを送らせて
頂きました。

バックとノートとソフト.jpg

やはり子供の笑顔は、そこにいる大人の心を和ませます。
いまこそ子供たちの笑顔が必要ですね。



あと、避難所の一角に一匹の犬がつながれていました。 

避難所の犬01.jpg

僕らが行くと泣き止んだのですが、それまでずっと鳴いていました。

いわき市に限らず、避難を余儀なくされた方の大半が、自分たちが
飼っていたペットをどうするか、という問題で頭を悩ませているという
話を聞きました。

この犬君は幸いにも避難所の方で面倒を見てもらってるようです。

最初にいわきに行った時に、僕もかなりの数の犬猫を沿岸部の道路
や家の近くにいるのを見かけました。 おそらく飼い主が首輪を
外されたのだと察しましたが、僕が近くで見た犬はレトリバーぽかった
のですが、とても痩せており、僕が近づくとしっぽをふりながら近づいて
来ました。 当座のえさは与えられても、この先この犬はどうして行くん
だろう、、こういうペットはいま東北地方には実はとても多いのでは?


そんな想いにふけりつつ、場所を四倉高校へと移動しました。
また後程ご報告します。

ありがとうございます!
posted by いまここ at 21:24| 福島 ☔| Comment(4) | マイノリティ・リポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヘイコーは頑張ってます!

こんにちは。

いまココの井手です。

昨夜は雨がすごかったですね。

被災地も広範囲で雨の様子で、土砂災害とか心配です。
被災地で働いている方々、くれぐれもお怪我のないようお気をつけ下さいませ。

さて、今回はこれまでの報告になります。
いっぺんにやると長くなり「長いなぁ〜」とつぶやかれるので(笑)
幾つかにわけてご報告しますね。

まず、これまでずっと見守らせていただいた平工業高校(ヘイコー)に
関して、喜ぶべき情報が入りました!

まず、いわき市が仮設住宅及び新興住宅の提供をいよいよ開始するという事で
その抽選があり、早ければ今月中にもここの住民がそこに移れるかも!
(ボランティアグループのリーダーである加藤さん情報)
これまで様々な困難をがありました。一時は配給ストップ寸前!みたいな危機も
ありましたが、皆さんの力で困難をいま乗り越えつつあります。

それに、ヘイコーには力強い味方がつきました。
なんと、地元のお母ちゃん達が立ち上がり、炊き出しボランティアを
毎日(月〜金)でやってくれることになったのです!

働くおかあちゃん達01.jpg

おかあちゃん達が笑いながら楽しそうにご飯をどんどん作ってくれています。

地元おとうちゃん.jpg

それをお父ちゃん達が黙々とサポートしています


このなんとも言えない頼もしさは、なんと表現したらいいのでしょう。

先週は向こうで野菜が買えなかったので、送って頂いた命の野菜、買って
持って行った野菜もすべて余すところなく、みなさんのところにその日、
次の日のご飯として活用頂けました。

野菜満載です01.jpg

このおかあちゃん達の頑張りによって、現在ヘイコーは他の避難所への
炊き出しのサポートも出来る様になり、いわゆる給食センター的な役割
を担う事が出来る様になりました。
現在毎日行っているのは、ここから6kmほど離れたとこにある
草野(くさの)小学校です。

草野小の中.jpg

すいません、中の写真だけだとよくわからないですね。

ここは60歳以上のお年寄りが7割をしめる避難所で、現在50名ほど
がいらっしゃいます。

ここに地元ボランティアの疋田(ひきた)さんが毎日ヘイコーに通って
届けて下さってます。


そこで活躍しているのが、皆さんのお志で購入させて頂いたこのズンドウ
鍋&保温ジャー&保温ポット軍団です

保温ジャー第二段01.jpg

これ一台に最大6升のご飯が入ります(約80〜100人分)
ここにこちらで炊いた玄米を入れて行って、サーブしてもらってますが
最初は「玄米いきなり持って行って大丈夫かなぁ」と思っていたのですが
評判は上々です。 

保温ジャー01.jpg

一応名前を張っておかないと、どこのモノか分かんなくなっちゃうということで

保温ポット01.jpg

ここに、熱い番茶を入れておきます。けっこう持ちますね。

やかんも必要.jpg

ヤカンの必要性も大きいですね(これも3つ購入させて頂きました)
ストーブの上に置いておいて、湧いたらポットに移すか、そのままにして
加湿器代わりにするか。

購入したズンドウ01.jpg
 
ズンドウはいくらあっても足りないほど活躍しました。
ありがとうございました。今回我々の他に、ボランティアの中島さんにも
購入して頂き、お手伝いをして頂いています(中島さんありがとう!)

これらがあるおかげで、できたてのホカホカご飯とみそ汁を皆さんに
お届けすることができています。
改めて、感謝・感謝です。ありがとうございます。

次は、ヘイコーと草野小学校と四倉高校の人達のレポートをします。

ありがとうございます。
posted by いまここ at 10:52| 福島 ☁| Comment(1) | マイノリティ・リポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

ありがとうにありがとう!


こんにちは

いまココの井手です。

なかなかブログ更新出来ずにすいません。
「時間かかりすぎやろ〜!」と各方面から叱咤の数々受けまして(汗)
激励の声に応えられるよう、がんばります。

さて、先の妻フォローにもありましたが、この2週間はなんというか
激動の時間でした。

義援物資の受付・仕分け作業や、仕事の納品などが見事に重なって
しまい、自分自身にとってある意味震災時の密度を超えて
いたかも知れません。

ちょっと長くなりますが、これまでの不義理をここで少しでも返せる(?)
よう記します。

まず、嬉しい事です!本日、最初(3/19)にいわきに物資を届けに
行ったところ(福祉施設)から、感謝の手紙と入居されている方々
からの寄せ書きが届きました。


P1040073.jpg


そのありがたい言葉の数々に思わず泣いてしまい、それを見ていた
妻も中身を見るまえから、泣いている僕をみて泣いていました。

この活動は何らかの見返りを求めて始めたわけでは決してなく、
ただ目の前で困っている家族や友人をなんとか必死で助けたくて、
そして僕らのようになかなか声が届きにくいマイノリティとされている
人達を助けたかった、、、その一点の想いから出発したものです。

しかし、その想いと行動を通しながら、実はとても追いつめられました。

もしかしたら、この様な話は不適切と思われるかも知れませんが、
この自分の身に起きた出来事は、今後ボランティア活動をされるみなさんにも
起こりうるかもしれない…そう思ったら何かの参考になるかもしれないと
感じたので、お知らせすることにしました。

3/19日に現地に入って、活動を開始してから3週間目を過ぎたあたりから
自分の体調に変化が起きている事に気付きました。

正確に表現する事が難しいのですが、何と言うか精神的に常に不安な状態に
なっていて、何をするにしても億劫に感じてしまう自分がいました。

もともとチャキチャキ動くタイプではないので、最初はあまり気にしません
でしたが、それにしても、腰から下がぬかるみに浸かってて歩く様な、
そんなもどかしさを常に感じていました。そんな時に限って東京での仕事の
ピークも訪れ、得体のしれない不安感に漂いながら、ただただ目の前の仕事の
処理に翻弄されるという時間を3〜4日過ごした時に感じました。

「何かがおかしい」

頭の中で鳴り出したアラームですが、それがこの活動を始めた事に起因して
いた事は気付いていたのですが、なぜそうなったのか、の合点がいかず、
意識をそこにフォーカスしようと思っても、すぐにぼけてしまうので、
集中して考える事が出来ませんでした。

そうしている間にも、友人や仲間からたくさんの励ましや義援物資、義援金
等を頂き、それらを出来るだけ早く着実に届けようと努力するのですが、
その重くなった心と身体がこれまでみたいに効率よく動いてくれませんでした。

その時にこの本を見つけました。

自然災害ボランティアABC.jpg


ボランティアのノウハウが分かりやすく詰まっています。
その中に「あなた自身の心理ケア」という項目がありました。
少しそこから抜粋します。

-----------------------------------------------
被災者と関わり合う中で、こちら側も影響を受けるのですが、その
影響を強く受けすぎると、直接経験した訳でもないのに、精神的な
打撃を受けます。この事を「代理受傷」または「二次的ストレス」
と呼びます。症状としては、不安、抑うつ、罪悪感、無力感、不眠
食欲不振(異常)等がよく見られます。慢性的に代理受傷起こり、
これらがそのままにされていると、深刻な影響が生じます。
回避出来ない苦痛にさらされ続けると、人は無気力になり、意欲
をはじめ全般的な精神的健康が低下します。これを「学習性無気力」
と呼んでいます。 「がんばればできる」という信念は、学習性無気力
の防止に有効ですが、外傷的な出来事の話を何度も聞くうちに、逆に
「自分にはどうにもできない」という感情を抱く様になります。
そのため、無力感や罪責感を体験するようになるのです。
元気に取り組んでいる人が突然意欲の低下を示す事もあり、これを
バーンアウト(燃え尽き症候群)と呼ばれ、ボランティア活動の場合
にも起こりやすい症状と言えます。
-----------------------------------------------

まさに自分の症状がこれだと思いました。

この活動をもっと活性化するためのアイデアや人材はとても目の前に
存在していて、あとはそれを一つ一つカタチにして行くだけなのに!
それに対して、身体が動く事を拒否してしまう…。

その停滞している頭の中で、ある幾つかの光景が繰り返していました。
それは、最初に現地に行った(3/19)時に体験した事です。

最初の記事でも紹介しましたが、壊滅した状態のまま、まだだれも
救助活動に入れていなかった薄磯地区に入ったとき、そこで小さな
娘さんを津波の最中に見失って、来る日も来る日も必死で現場に
探しにきていた若い夫婦の話を聞き、瓦礫の中という酷い環境の中で
聞いたせいもあり、ものすごい衝撃を受けました。
それは自分の意識のとても深い部分をえぐった気がしました。
そして、なにかせずにはいられない原動力にもなりました。

その日いわきからの帰り道、まだ一般車両が通行禁止となっていた
常磐道で起きた出来事です。

いわきと茨城との境目付近にある「中郷SA」に寄った時の事です。

トイレに入って、車をとめた駐車所に出てきた直後に、ものすごい揺れが…。
311の地震発生後、最大の余震を直下で受けました(震源地のまさに真上
でした)震度5強でした。後に他の場所でも遭遇した同クラスの震度と比較
しても、その時の揺れはひどく強く感じました。空気が揺れる感じというか、
駐車場のあの高い照明が倒れて来るような気がして、転倒しないように必死で
身体をかがめながら上を凝視していました。

その駐車場には、いわき方面から必死で逃げてきたのであろう2〜3組の
家族連れ以外誰もいませんでした。僕らに近い場所に止めていた車の中に、
4〜5才くらいの男の子が祖父母らしき人と一緒にいました。その子は、
暗い車内の中で親指をかみ、祖父に話しかけられても応えずじっと前を
見ていました。みな一斉にその現場から立ち去らなければならない衝動に
かられ、自分もその場を後にしましたが、その男の子のおびえきった目が
僕の脳裏に焼き付きました。原発が二度にわたる爆発を繰り返し、再び
余震や津波の恐れもあり、得体のしれない恐怖が国中を襲っていた時でした。

あの家族はちゃんと移動できて無事でいるのか…。
もし途中でガソリンがなくなって動けなくなっていたら…。
なぜあの時あの男の子に声をかけてやれなかったのか…。
そんな思いでしめつけられました。

自分の目の前で子供を津波にさらわれた方の話と、あの男の子の光景が
ずっと頭の中でリフレインして、整理出来ない感情がそれからしばらく
自分の中で未消化のまま時間が経ってしまい、現在の(ちょっと前の)
自分の状態になってしまいました。

その時間を何と表現したら良いか分かりません。。。

そんな訳で、いわゆる自分は「オチて」いました。
「そんな大した事してないくせに」と思われる方もいるかもしれません。
実際、自分がそんな大それたことをしたとも思っていません。
自分なんかよりもっと根性入れて、頑張っている人はゴマンといます。
自分も正直、こんな事で折れている場合じゃないと、歯がゆかった。
でも動けなかったのは事実でした。


しかし、そこからどうにかこうにか回復し動き出せたのは、家族と温かい
友人と知人の言葉であり、その存在そのものでした。
それがなかったら、ここで挫けていました。

妻が、やっと今までつめこんでいた緊張や辛さや怯えていた心にも
目をむけてあげられるようになったんだよ。それぐらい余裕が出てきたんだよ。
自分たちはスーパーマンじゃないから、ただの人だから、頑張りすぎず、
かっこつけることもせず、ただ打ちひしがれて泣けばいい。器用じゃないから、
そういうふうにしか前にすすめない。それを一緒にできる人がそばにいてくれる
だけまだいい。こんなふうに苦しくなるのも、生きている証なんだね…と。

そして、今日その根底からリフトアップしてくれたのが、下田泉ちゃんから
きた手紙です。

なんというか、心から救われた感じでした。

実際被災しているのは向こうなのに、こっちが救われるなんて、、
よくある話のようですが、事実僕はこの手紙で救われました。

本人に了解を得ようとすると拒否されるので(笑)、事後承諾で紹介
しますね。 というか、この手紙は自分達だけがとっておくのが
もったいない気がしてならない、というのが本音です。

Letter_01.jpg


Letter_02.jpg

Letter_03.jpg



彼女は色んな恐怖を抱えながらも、今をとにかく見つめて毎日を
生きるしか方法はないと言っています。 そんな彼女からの
「ありがとう」は、今まで漂流しかけていた自分の心を再度「今、ここ」に
つなぎ止めてくれました。 自分は何かをなさなければならないとおもい、
衝動にかられて行動していたのに、動けなくなってその事を恥じていた。

でも、なんとか手助けしたいとおもっていた目の前にいる人達が
わかっていたはずの大事なことを、今一度気付かせてくれました。

「今、ここ、を生きる」
「人はひとりではいきていけない」
「小さくても和をつくって横並び」

ばーちゃんが言っていたことをおもいだします。
幸せのひけつは

「ありがとう」
「もったいない」
「させていただく」

だよ。「させて、いただく」からギブ&テイクなんだと。

そうだった、おれは自分のためにも「させていただく」

これまでどこかで自分がやらねば、自分が助けに行かねば…、という想いが
脅迫観念にも近いかたちでとても強くありましたが、もっと基本に立ち返り、
確かにあの時は自分が行くしかなかったかもしれないけど、今は沢山の人が
支えようと頑張っている訳で、もうそこで無理に主張して行く事はやめて、
「出来る事」を一つ一つ、無理しすぎずやって行こう。
そうやって、「人」と繋がって行こう。そしたらかならずそこに「つながり」が
出来てくる。 そうしてつながっていけるのが僕はとても好きで、
だから、僕はこの活動を続けたいと思うし、これからもみんなと繋がって
行きたいと感じ、想いました。


ごめんなさい

ゆるしてください

ありがとう

あいしています

有名な「ホ・オポノポノ」の言葉ですが、今日はこの4つの
言葉が真に身にしみてありがたく感じました。

ありがとうございます。

最後に、いわき市の避難状況をお知らせします。


iwaki_hinan_number.jpg


これはいわき市のHPにのっているデータをそのまま載せています
(2011年4月22日現在)
その中で赤枠になっているのが、これまでアテンド(&訪問)させて
いただいた避難所です。

いわき市も、仮設住宅建設や雇用促進住宅などの借り上げをすすめ、
一日も早く避難住民の皆さんが移れるよう尽力しています。 
ボランティアスタッフも毎日笑顔で現地で頑張ってくださっています。

子供達も「どんな映画みたい?」って聞くと
「バイオハザード!」って答えがかえってきて、
マジで?!ってこっちが驚くほど元気で笑顔が戻って来ています。

これからもまたご縁のあるところで着実に誠実に、そして無理をせずに
やっていきたいです。

今後ともよろしくお願い致します。m(_ _)m

皆さんも身体と心と家族と命と「今ここ」をご自愛ください。

いつもありがとうございます!



posted by いまここ at 22:20| 福島 ☁| Comment(1) | マイノリティ・リポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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