こんばんは。
いまココの井手です。
先ほど、東京自宅へいわき市より戻りました。
今回もかなりの強行軍でしたが、皆さんのご協力のおかげで
避難所の皆さん160余名に炊き出しを行なう事が出来ました。

今回は2台の車に満載で物資を運びました。実はそれでも入りきれませんでした。

2台目の横から見た図
本当に、皆さんからのあったかい『ココロ』を頂き、お送りさせて頂きました。
重ね重ね、感謝・感謝です!
また、昨日電話したにも関わらず、今朝出発までになんと某メーカー様が
大量の下着関係を寄付して頂きました。
ありがとうございました。
炊き出しレポートはビデオもまわしていますので、後程アップ致します。
今回は、前編の紹介です。

これはいわきに行く途中の常磐自動車道の模様。
道路の色が変わっている部分は分かりますか?
実はこういうトコのほとんどが、地震の影響でひび割れ等を起こした
箇所を舗装し直した後です。 目的地に着くまでかなりの数がありました。
かなり上下のズレがあるところもあり、気をつけないと、スピードが
出ていると、「ンがく〜ン!?」と自動的にマリオ状態になる場面も時折あり
その度に支援物資が「グワシャ、グワシャ」と不協和音を奏でるのでした。


福島県に入った途端、こんな表示が出ました。ああ、そーですねー。
20km圏内ってだいぶ先なんですけど、こういう仕組みを作って
何か災害が起きたときは、知らせてくれるんですね。フムフム。
これが避難場所となっている高校。すごく立派な学校施設です。

そしてこの奥がその避難場所の体育館。
実は、ここの避難所に限らず、いわき市についてはほとんどメディアの取材を
受けていないとの事。 例外的に地元のTVの取材班は毎日あちこちを取材して
いる様ですが、基本的にスタッフがすごく少ないので、全然回りきれてないようです。
家族、親戚を探している人や、今後どうなるか分からない状況でどうしたら
良いかわからない人にしてみたら、一刻も早く、この現状を全国に向けて報道
してもらい、捜索や今後どうやって住む所を探して行くか、等の対策の手を
考えるきっかけが是非とも欲しいところではないでしょうか。
しかし、その捜索も基本的には、自衛隊と現地ボランティアスタッフによる
もので、なかなかその作業も遅々として進まないそうです。
そんな中、残念な事ですが、昨日の捜索で、ご遺体が2人見つかったとの事。
そのうちの1人は若い娘さんで、地震発生から2週間が経ち、その変わり
果てた姿をみて、お母さんが泣きながらその顔を拭いていたとの事。
その話を避難所でトツトツと僕らに話してくれた、おばちゃんの顔は
とても疲れているように見えました。

これは避難所の中。物資は全国から寄せられ始め、かなりのストックが有り
逆に種類(カテゴリー)によっては、多すぎるモノもあるという話で、何を
どこに、どれくらい必要なのか判断する、という「仕分け作業」も重要な仕事
である事を実感しました。
その奥にいる人達はこんな感じで、体育館の固くて冷たい床の
上に寝泊まりしています。 水が出ないので、避難してから2週間以上経つ
のに、一回もお風呂に入っていない人が大勢いました。
そんな現状に業を煮やした地元の議員の方が尽力され、マイクロバスを民間から
借り受け、避難場所にいる子供と老人を中心に、ここから40分くらい離れた
場所にある温泉にピストン輸送で行ったそうです。 我々が到着して、炊き出し
の準備を行なっている最中に戻ってきました。
それについても後程報告します。

嬉しかった事!
炊き出しの玄米ご飯と豚汁を完食し、満面の笑顔で我々に
話しかけてくれたおばあちゃん。 「これまで固くて冷たいご飯
しかなくて、食べられなかったんだけんども、こーれは、あーった
かくてやわくて、おいしかったよ。みーんな食べちまった!」と空の
茶碗を見せてくれたときは嬉しくて涙が出そうでした( 出ました)。
まだまだ沢山のエピソードが、この短い時間にたくさんありました。
全部伝えるのは難しいですが、また後編にてご報告します。。